トピックス

2012国際協同組合年〜明日を拓く協同組合〜(「協同」7月号)
賀川豊彦と「農民福音学校」

2012.07.06

賀川の活動は、労働組合、農民組合、生活協同組合、社会保険など、多岐にわたりますが、最も精力的に時間を使ったのは農民活動でした。その中心的な活動が農民福音学校です。全国に広がったこの学校の第1号は、西宮市瓦木村の「日本農民福音学校」で、1927年から42年の15年間続けられました。生徒は、北海道から琉球まで全国から集まりました。賀川は、さまざまな活動で忙しく4時間しか睡眠時間がないといった日常でありましたが、農民福音学校の間は、最初と最後の1週間は必ずみんなと寝食を共にし、午前中3時間の講義を行いました。この学校にかける彼の意気込みが伝わってきます。


この学校は、形式もその教育効果も吉田松陰の松下村塾のような物と言えます。それほど、後の日本の農村に大きな影響を与えています。この学校を卒業した人たちが、郷里に帰り、今までのような稲作だけでなく、畜産や果実など、また時計やハムの工場を作るなど多角経営に踏み出すようになり、日本の農業の形を変えて行きました。農村の質的変化のエンジンとなったのです。


この日本農民学校はデンマークの高等農民学校(国民高等学校)を参考にしています。賀川は招かれて数回欧米に講演旅行をしていました。そのうち1925年には6日間デンマークに滞在し、各地の農民学校を訪問しています。そしてその農民学校の素晴らしさに感銘を受け、帰国したら同じような意図を持った農民学校を作り、日本の繁栄の基礎を作りたいと考えていました。


賀川の唱えた、神を愛し、土を愛し、隣人を愛すという「三愛主義」は、今も北海道の「酪農学園」などで脈々と受け継がれ、そこを巣立った若者が農村へ入り、日本の農業の発展のために頑張っています。



瓦木村の自宅で開かれた農民福音学校
瓦木村の自宅で開かれた農民福音学校

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